宇宙開発 7

6月にはロシアが8個の軍事衛星を、1基のロケットで打上げました。


ちなみにこのような8個同時の打上げは、1970年4月にその第1号が記録されています。


これらコスモス564号から571号までの8個の衛星は、ロシアの軍事通信システムの一部をになうものでした。


さらに7月には米国が、そして8月にはロシアが2度続けて、火星探査機の打上げに成功しています。


そして衛星の軍事的価値を今一度実証する事件が、その年の秋に起こりました。


10月6日、第4次中東戦争(ヨン・キブル戦争)が勃発したのです。


それ以前数週間にわたって同地域の緊張は続いており、9月の末には、実際の戦闘規模の予測は不可能であるにせよ、戦争自体は避け難いと超大国の眼には映っていました。


米国は、その衛星の寿命の長さと恐らくは外交上の有利さも手伝って、即座に戦闘地域を衛星でカバーします。


一方、ロシアの写真偵察衛星は、情報分析を行うためにほんの数日飛んだだけで回収する必要があるという欠点(少なくとも西側の考えでは)を持っていました。

宇宙開発 6

ロシアの宇宙計画に対する軍部の発言力を考慮すれば、これは当然のことでしたし、また宇宙計画の当時の段階では、長距離飛行を簡単にする微小技術が欠落していたために、計画自体が制限されたものとならざるをえませんでした。

1971年6月にソユーズ11号が、サリュート1号宇宙ステーションとドッキングを行いました。


その結果、ロシアが米国に先駆けて宇宙ステーションに関連した成功を収めたために、今一度ロシアが米国を追い越したという考え方が生じました。


しかしながらロシアにとって、この宇宙での成功は、悲劇的な結末を迎えることになります。


ソユーズ11号に乗ったドブロフォルスキー、フォルコフそしてバチャーエフの3飛行士は、順調に計画通りの任務を果たした後、ソユーズ11号に戻って地球への帰還の途につきました。


ところが帰還したソユーズ11号の中で、3人の宇宙飛行士はいずれも死亡していたのです。


宇宙ステーションからの離脱後、3人が窒息死したことは明らかでした。


その後1973年まで、ロシアは有人飛行を一切行っていません。


1973年という年は、打上げの回数ではなく、衛星の実用的な利用という点で、非常に忙しい年でした。


この年はロシアの無人宇宙船が月面に着陸し、ルノホート月面車が送り出されて幕が開いています。


4月には米国のパイオニアー1号が木星探査の任務を帯びて打上げられ、5月には初めての3人の飛行士を乗せたスカイラブが、地上400キロメートルの軌道を回っています。

宇宙開発 5

アポロ13号の事故も、ロシアよりはるかに進んでいた米国の月計画を遅らせることにはなりませんでした。


月探査機を着陸させてはいたものの、ロシアは地球の本来の衛星である月への有人飛行は全く行っていなかったのです。


その後2年間にわたって、米国はそれぞれ3人の飛行士を乗せたアポロ14号、15号、16号、17号による月への飛行を行い、すべてを成功させたのです。


アポロ17号を最後に米国の有人飛行計画は中断しましたが、1973年5月から開始されたスカイラブ飛行によって再開されました。


スカイラブはその名前が示すように、大空に浮かぶ実験室です。


重量約75トンのこの実験室には、複数のドッキング設備、実験室、特別な望遠鏡設置台、そしてもちろん乗員が宇宙に非常に長い期間滞在できるだけの設備が整っていました。


もっとも米国はロシアのサリュートに乗り組んだ宇宙飛行士のように、マラソンにも似た宇宙飛行を試みたことはありません。


そのサリュート1号は1971年の4月に打上げられていますが、これは有人宇宙ステーションの原型に他ならないものです。


はるかな惑星を目指すロシアの宇宙計画は続けられてはいましたが、ロシアが地球周辺での開発に重点を置いていることは、あらゆる徴候からみて確実でした。

宇宙開発 4

月面着陸の計画は即座に破棄されましたが、乗員を無事に帰還させるという難題が残されました。


乗組員はラベル(米国の宇宙飛行士の中でも最も経験豊かな飛行士)、ヘイズそしてスワイガートの3飛行士でした。


第1の難問は損傷の程度を見極め、酸素タンク以外に被害にあった個所がないかどうかを知ることでした。


次には船内の各システムおよびヒューストンの宇宙管制センターと結ばれている諸システムを点検することが必要でした。


乗員はその損傷を受けた宇宙船で月の裏側を回り、地球へ向かって飛び続けていました。


3日半以上にわたって世界中の人々が、管制センターおよびラベル、ヘイズ、スワイガートの3飛行士が、地球への無事帰還を目指して、可能なあらゆる方法を試み続けるのを見守っていたのです。


そして事故後86時間36分後に、アポロ13号のカプセルは太平洋上に着水しました。


奇妙なことですが、高速道路では事故が続発しているにもかかわらず、そこから何千マイルも離れた所で人類が直面した事故が克服されたことにより、人々の技術への信頼感は増したように思えるのです。

宇宙開発 3

同じ11月、米国によって、英国の軍事通信衛星スカイネットが、インド洋上に打上げられました。


その3ヶ月後には、日本がようやく独自の打上げに成功、さらに1970年の3月にはフランスが、フランス・西独製の衛星を打上げています。


これはフランスにとっては初めての他国のペイロード(観測機器)の打上げであり、日本の成功とともに、宇宙飛行を成し遂げる能力が拡がっていることを示すものでした。


このフランス-西独共同衛星の打上げの10日後には、北大西洋条約機構(NATO)の共同軍事通信衛星が米国によって打上げられ、次いで4月24日、今度は中国が衛星の打上げに成功しています。


その年の末にかけて、フランスが気象衛星を打上げる}方、イタリアもまた宇宙競争に加わり、非常に興味深いことに米国のために衛星を打上げた初めての国となっています。河成鎮作氏によると、つまり、米国のSAS1号と呼ばれた小型の天体観測衛星は、イタリアが米国製の発射台を使用して、サン・マルカスから打上げたものです。


けれどもこの1970年という年は、一般には短い宇宙時代の歴史の中でも、最も有名な惨事になっていたかもしれなかった事故の成り行きを、世界中が息を押し殺して見守った年として記隠されることになるでしょう。河成鎮作氏によると、その数字からして悲劇にはふさわしかったとも言えるアポロ13号は、4月3日に打上げられ、その56時間後に月へ向かう途中で爆発が起り、第2酸素タンクが破壊してしまいました。

宇宙開発 2

1967年の惨事と1968年の成功の間に、米国はサーベイヤーによる月探査計画をたった2度失敗しただけで完了しました。


この計画には初めての月面着陸と、月面からのロケットによる離陸(サーベイヤー6号)が含まれています。


一方、ロシアはFOBSのテストを続けるとともに、金星への128日間にわたる飛行を行っていました。


それは、1969年に2つのロシアの金星探査機ベネラ5号および6号が、1日の差で金星大気圏内に突入し、恐らくは着陸したと思われる出来事の幕開けでした。


けれどもこのような成功も、1969年を飾った大きな出来事の前には影が薄いものとなってしまいます。


1969年7月20日、アポロ11号を離れた月着陸船イーグル号が、ニール・アームストロングとエドウィン・オルドリンの両飛行士を乗せて、月面に着陸しました。


人類にとって巨大な前進となったこの月面着陸は、スプートニク1号からわずか12年後に実現したのです。


次いで11月14日、フロリダ州ケープ・ケネディ(ケープ・カナベラル)の東部試射場からアポロ12号が打上げられ、その5日後コンラッド、ビーン両飛行士を乗せた月着陸船イントレピッド号は、嵐の海への軟着陸に成功しました(イーグル号は静かの海へ着陸しています)。


宇宙飛行はこうして素晴らしい速度で前進を遂げたのです。

宇宙開発

1967年は、宇宙開発にとっては悲しい年となりました。


有人宇宙船を2年間にわたって打上げていなかったロシアは、新たな有人宇宙飛行計画、ソユーズ計画をこの年に開始。


そして4月23日、計画通りにソユーズは打上げられ、同船には1964年の初めてのボスフォードの飛行にイェゴロフ、フェオクチストフ両飛行士と共に乗組んでいた、ウラジミール・コマロフ飛行士が乗っていました。


軌道をほとんど27周した後、回収が試みられましたが、パラシュートがもつれコマロフ飛行士は死亡しています。


その後、ロシアは翌年の10月まで一切の打上げを行っていません。


一方、米国においては、計画中のアポロ・シリーズの基礎的なシステムの試験を行うための作業が進められていました。


6月27日、発射台上で起きた火災により、バージル・I・グリソム(1961年米国で2人目の宇宙飛行を行っました)、エドワード・ホワイト(1965年にジェミニ4号の乗員の1人として21分間にわたって宇宙遊泳を行っています)そしてロジャー・チャフィーの3飛行士が死亡する事故が起きています。


彼ら3人はアポロシリーズに向けた3人1組で構成されていた乗組員の1班を構成していますた。


その後アポロ計画は、翌年1968年10月になって、シーラ、アイゼル、カニンガムの3飛行士によって、ようやく実現されました。


しかし、その飛行は163周、260時間続き、後には「ほとんど完壁な飛行」と評されています。


排気ガス浄化装置

排気ガスに含まれる大気汚染物質を削減するため、排気パイプにはさまざまな浄化装置が備えられています。

そのなかでも核となるのが三元触媒コンバーターです。

コンバーターのケースのなかにはモノリス(格子状に組み立てた酸化物)またはペレット(粒子状にした酸化物)が収められ、そこにプラチナなどの化学物質が付着しています。

この化学物質が触媒となって、大気汚染物質に化学反応を起こさせ、無害な物質に変えるしくみになっているのです。

排気ガスに含まれている主な大気汚染物質は、炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物の3種類。

これらが三元触媒コンバーターを通過すると、化学反応を起こして水、窒素、二酸化炭素に変化します。

理論空燃費では大気汚染物質はほぼ完全に無害化されまるが、空燃比が高かったり低かったりすると、大気汚染物質が分解しきれずに残留することがあります。

このため、できるだけ理論空燃比に近い状態で燃焼することが望ましいのです。

mi.jpeg

マフラー

高温の排気ガスがそのまま外気に触れると、急速に膨張して大きな騒音が発生します。

この騒音を軽減するために、排出口の手前にマフラー(消音器)が備えられています。

消音方式には、膨張式、吸音式、共鳴式の3つがあり、これらが併用されています。

膨張式はマフラー内に複数の部屋を設置し、段階的に排気を膨張させることで音の発生を抑えます。

吸音式は、綿状のガラス繊維を吸音材として使い、騒音を吸音材に吸収させます。

共鳴式は、マフラー内に設けられた空間で騒音を反射させ、跳ね返ってきた騒音を次に放出される騒音とぶつけ合って音を消します。

マフラーの手前に「プリマフラー」を設け、2段階で消音を行うこともあります。

また、エンジンの稼働状況などに対応して消音力を調整する「可変マフラー」も実用化されています。


maf.jpg

排気マニホールド

各シリンダーで発生した排気を、ひとつの管に合流させる岐管が「排気マニホールド」です。

エンジンから排出したばかりの排気は数百度の高温なので、耐熱性がある鋳鉄製や軽量化構造のステンレス鋼管などでつくられています。

排気マニホールドの重要な役割は、排気の流れを滞らせないことです。

ひとつのシリンダーからの排気が続いている間に別のシリンダーからの排気が始まると、排気同士がぶつかって詰まる「排気干渉」が発生します。

これを避けるために、排気マニホールドの形状には、枝分かれする岐管の長さを統一したり、合流地点をエンジンから遠ざけたりといったさまざまな工夫が施されているのです。

V型工ンジンや水平対向型工ンジンはシリンダーが2列になっているため、それぞれの列に排気マニホールドが設置され、その先の排気ダクトでひとつに合流させる方式がとられています。

haiki.JPG

カテゴリー

管理人のお気に入り

FX キウィ

ニュージーランドドル(NZD)の別名。ニュージーランドに生息するキウィ(鳥)か...

家庭教師

家庭教師のタートル先生のご案内。小学生・中学生・高校生のための家庭教師を紹介。苦手科目克服・やる気アップ・定期テスト対策・受験対策なら家庭教師のタートル先生へ安心してお任せ下さい。

Jaspersoft
野村総合研究所のオープンソースサポートサービス『OpenStandia』による、Jaspersoft Business Intelligence Suite(ジャスパーソフト ビジネスインテリジェンススイーツ)をご紹介するページです。
結婚式の2次会
結婚式の二次会幹事代行は年間500組の豊富な実績、参加者満足度No.1の「2次会エンジェル」結婚式の二次会代行ただいま無料キャンペーン実施中!司会、受付、音響、撮影、ゲーム、余興、景品など全ての幹事代行をいたします。