宇宙開発 5
アポロ13号の事故も、ロシアよりはるかに進んでいた米国の月計画を遅らせることにはなりませんでした。
月探査機を着陸させてはいたものの、ロシアは地球の本来の衛星である月への有人飛行は全く行っていなかったのです。
その後2年間にわたって、米国はそれぞれ3人の飛行士を乗せたアポロ14号、15号、16号、17号による月への飛行を行い、すべてを成功させたのです。
アポロ17号を最後に米国の有人飛行計画は中断しましたが、1973年5月から開始されたスカイラブ飛行によって再開されました。
スカイラブはその名前が示すように、大空に浮かぶ実験室です。
重量約75トンのこの実験室には、複数のドッキング設備、実験室、特別な望遠鏡設置台、そしてもちろん乗員が宇宙に非常に長い期間滞在できるだけの設備が整っていました。
もっとも米国はロシアのサリュートに乗り組んだ宇宙飛行士のように、マラソンにも似た宇宙飛行を試みたことはありません。
そのサリュート1号は1971年の4月に打上げられていますが、これは有人宇宙ステーションの原型に他ならないものです。
はるかな惑星を目指すロシアの宇宙計画は続けられてはいましたが、ロシアが地球周辺での開発に重点を置いていることは、あらゆる徴候からみて確実でした。