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2010年09月 アーカイブ

宇宙開発 5

アポロ13号の事故も、ロシアよりはるかに進んでいた米国の月計画を遅らせることにはなりませんでした。


月探査機を着陸させてはいたものの、ロシアは地球の本来の衛星である月への有人飛行は全く行っていなかったのです。


その後2年間にわたって、米国はそれぞれ3人の飛行士を乗せたアポロ14号、15号、16号、17号による月への飛行を行い、すべてを成功させたのです。


アポロ17号を最後に米国の有人飛行計画は中断しましたが、1973年5月から開始されたスカイラブ飛行によって再開されました。


スカイラブはその名前が示すように、大空に浮かぶ実験室です。


重量約75トンのこの実験室には、複数のドッキング設備、実験室、特別な望遠鏡設置台、そしてもちろん乗員が宇宙に非常に長い期間滞在できるだけの設備が整っていました。


もっとも米国はロシアのサリュートに乗り組んだ宇宙飛行士のように、マラソンにも似た宇宙飛行を試みたことはありません。


そのサリュート1号は1971年の4月に打上げられていますが、これは有人宇宙ステーションの原型に他ならないものです。


はるかな惑星を目指すロシアの宇宙計画は続けられてはいましたが、ロシアが地球周辺での開発に重点を置いていることは、あらゆる徴候からみて確実でした。

宇宙開発 6

ロシアの宇宙計画に対する軍部の発言力を考慮すれば、これは当然のことでしたし、また宇宙計画の当時の段階では、長距離飛行を簡単にする微小技術が欠落していたために、計画自体が制限されたものとならざるをえませんでした。

1971年6月にソユーズ11号が、サリュート1号宇宙ステーションとドッキングを行いました。


その結果、ロシアが米国に先駆けて宇宙ステーションに関連した成功を収めたために、今一度ロシアが米国を追い越したという考え方が生じました。


しかしながらロシアにとって、この宇宙での成功は、悲劇的な結末を迎えることになります。


ソユーズ11号に乗ったドブロフォルスキー、フォルコフそしてバチャーエフの3飛行士は、順調に計画通りの任務を果たした後、ソユーズ11号に戻って地球への帰還の途につきました。


ところが帰還したソユーズ11号の中で、3人の宇宙飛行士はいずれも死亡していたのです。


宇宙ステーションからの離脱後、3人が窒息死したことは明らかでした。


その後1973年まで、ロシアは有人飛行を一切行っていません。


1973年という年は、打上げの回数ではなく、衛星の実用的な利用という点で、非常に忙しい年でした。


この年はロシアの無人宇宙船が月面に着陸し、ルノホート月面車が送り出されて幕が開いています。


4月には米国のパイオニアー1号が木星探査の任務を帯びて打上げられ、5月には初めての3人の飛行士を乗せたスカイラブが、地上400キロメートルの軌道を回っています。

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