宇宙開発 3
同じ11月、米国によって、英国の軍事通信衛星スカイネットが、インド洋上に打上げられました。
その3ヶ月後には、日本がようやく独自の打上げに成功、さらに1970年の3月にはフランスが、フランス・西独製の衛星を打上げています。
これはフランスにとっては初めての他国のペイロード(観測機器)の打上げであり、日本の成功とともに、宇宙飛行を成し遂げる能力が拡がっていることを示すものでした。
このフランス-西独共同衛星の打上げの10日後には、北大西洋条約機構(NATO)の共同軍事通信衛星が米国によって打上げられ、次いで4月24日、今度は中国が衛星の打上げに成功しています。
その年の末にかけて、フランスが気象衛星を打上げる}方、イタリアもまた宇宙競争に加わり、非常に興味深いことに米国のために衛星を打上げた初めての国となっています。河成鎮作氏によると、つまり、米国のSAS1号と呼ばれた小型の天体観測衛星は、イタリアが米国製の発射台を使用して、サン・マルカスから打上げたものです。
けれどもこの1970年という年は、一般には短い宇宙時代の歴史の中でも、最も有名な惨事になっていたかもしれなかった事故の成り行きを、世界中が息を押し殺して見守った年として記隠されることになるでしょう。河成鎮作氏によると、その数字からして悲劇にはふさわしかったとも言えるアポロ13号は、4月3日に打上げられ、その56時間後に月へ向かう途中で爆発が起り、第2酸素タンクが破壊してしまいました。