宇宙開発
1967年は、宇宙開発にとっては悲しい年となりました。
有人宇宙船を2年間にわたって打上げていなかったロシアは、新たな有人宇宙飛行計画、ソユーズ計画をこの年に開始。
そして4月23日、計画通りにソユーズは打上げられ、同船には1964年の初めてのボスフォードの飛行にイェゴロフ、フェオクチストフ両飛行士と共に乗組んでいた、ウラジミール・コマロフ飛行士が乗っていました。
軌道をほとんど27周した後、回収が試みられましたが、パラシュートがもつれコマロフ飛行士は死亡しています。
その後、ロシアは翌年の10月まで一切の打上げを行っていません。
一方、米国においては、計画中のアポロ・シリーズの基礎的なシステムの試験を行うための作業が進められていました。
6月27日、発射台上で起きた火災により、バージル・I・グリソム(1961年米国で2人目の宇宙飛行を行っました)、エドワード・ホワイト(1965年にジェミニ4号の乗員の1人として21分間にわたって宇宙遊泳を行っています)そしてロジャー・チャフィーの3飛行士が死亡する事故が起きています。
彼ら3人はアポロシリーズに向けた3人1組で構成されていた乗組員の1班を構成していますた。
その後アポロ計画は、翌年1968年10月になって、シーラ、アイゼル、カニンガムの3飛行士によって、ようやく実現されました。
しかし、その飛行は163周、260時間続き、後には「ほとんど完壁な飛行」と評されています。